◆◆◆ 第19回ANA歴史シンポジウム ◆◆◆
2009.10.17「アジア美―世界文化への発信を目指して」
2009年10月17日(土)、「第19回ANA歴史シンポジウム」が奈良県立万葉文化館で開催されました。
ゲストは 籔内佐斗司氏(彫刻家)、堀尾真紀子氏(美術評論家)の各氏。
◆◆◆ 第18回ANA歴史シンポジウム ◆◆◆
2009.3.15「日本海文化の再発見」
2009年3月15日、「第18回ANA歴史シンポジウム」が鳥取市民会館で開催されました。
◆◆◆ 第17回ANA歴史シンポジウム ◆◆◆
2008.3.1「安芸文化の輝き~調べと語りの世界~」
3月1日、「第17回ANA歴史シンポジウム」が広島で開催されました。
当日は、ご出席の先生方の質の高い講演に加えて、筑前琵琶奏者・上原まりさんの「平家巡礼」の演奏もあり、例年にも増して華やかなシンポジウムでした。 翌2日の厳島神社詣でも含めて、総勢38名のふくろうの会メンバーが参加し、お天気にも恵まれた有意義な二日間となりました。
・ 義経をめぐる芸能:篠田正浩(映画監督・早稲田大学特命教授)
・ 平家と厳島神社:五味文彦(放送大学教授・東京大学名誉教授)
・ 琵琶演奏「平家巡礼」:上原まり(筑前琵琶奏者・当会会員)
・ パネルディスカッション「世界の中の平家物語-心の遺産として」
中西進、篠田正浩、五味文彦、西原大輔
・コーディネーター:天野幸弘(朝日新聞論説委員・当会会員)
なお、シンポジウム当日のパンフレットに掲載された中西先生の「世界の中の平家物語」を、以下に転載させて頂きます。
・ 世界の中の平家物語 ― 心の遺産として ―
中西 進(国文学者)
(1)日本歴史の中で、もっとも大きな転換期はいつだったかと問われる時、私は平家の滅亡(1185)だと答えたい。ほぼ500年代の後半に統一国家を作った日本は、この年までに第1期の日本文化を完成した。それは「情」の文化とよぶべきもので、公家によって支えられてきた。
ところが武家でありながら公家文化の最後を担った平家が滅びると、源氏が政治の中心に座り、武家文化が出発、1868年に源氏を名のる徳川氏の政権が崩壊するまでそれが続く。この時期の日本は「知」の文化を発展させ、第2期の日本を形成した。
この文化の特色は武家文化として、第1期とは別だが、しかしこれは次の明治政府にも引きつがれ、富国強兵のスローガンとなり、戦力を経済力に代えながら、今日まで攻撃型を続けている。文化の特色としては1868年以降は第3期ともいえる「意」の文化を目ざしているが、力の文化を志向する国家形成に変化はない。
こう考える時、やはりもっとも大きな節目は12世紀末にあったといわなければならないだろう。
(2)ひたすら心の成熟に向けて人間の力を内攻させていった第1期日本文化は、平氏の胸に抱かれて、瀬戸内海の海中深く沈んでいった。
いま、都すら海の底に還しながら、瀬戸内海は静かな瞑想の内海として、穏やかな水面を湛えている。
この瞑想の中から、能や歌舞伎そして平曲らの平家追憶の調べがおこり、日本人が心に保ちつづける「敗北を抱きしめる」哀歌は今日にまで絶えない。 攻撃を力とし、武力抗争をくり展げて飽きることのない現代世界に向けて、平家を最後の担い手として日本に開花した心の文化こそふり返るべき文化の華であることを、われわれは忘れてはならない。
(3)それでは、どのように「情」の文化の輝きを、われわれは取り出すことができるのか。
平家の人びとは改訂に消えていったが、なお現存しつづけるものがある。それが言語遺産としての「平家物語」であり、演劇としての平家物であり、音楽としての平曲である。
そして何よりも具体的な厳島神社と、そこに保存されている美術品ともいえる平家納経その他の文物である。 いま平家納経を少し詳しく見よう。これは平清盛が長寛2年(1164)に厳島神社に奉納したもので、(祭神の本地仏は十一面観音)、法華経の十八品の他に無量義経、観普賢経を首尾に配し、さらに般若心経(後に差しかえ)、阿弥陀経と清盛の願文を加えた全三十三巻から成る。
これらにはそれぞれみごとな画や模様また装飾的な梵字が描かれ、極美をつくす。具体的に絵巻模様の屋内外の様子、絵伝に見られるような山水画、諸仏の群像や仏具のちらし文様、また葦手書きの文字、今日の現代アートのデザインまがいの抽象的な浮雲文様が見られる。
写経も一巻ごとに書き手が違い、それぞれの筆遣いの相違もおもしろく、絵画史、筆法史の一大パノラマをみるごとき壮観ぶりを示す。
もちろん納経が五〇〇年にわたる歳月を生き永らえてこられたのは、神社自体の手厚い保護と、治者の財力によるところが大きい。その行為自体もふくめて、この文化遺産は、さらに広く世界に認知されるべきであり、かりに奉納物は都の覇者であったとしても、安芸は文化発信の誇るべき原点となる。
(4)さらに厳島神社自体の聖空間の構成も、特記すべき文化の輝きを持つ。 干満の潮によって神殿自体が浮沈するかの如き様子を示し、聖空間は波間に漂うかに思われ、清盛願文に「巨海之渺茫ニ臨ム」とあることを実感させる。
朱塗りの大鳥居を海中におく構造は琵琶湖にも対馬にも小規模なものが見られるが、ともに海路を辿っての神の来臨の実景を想像させ、また人間が神に近づく、徐(ルビ・おもむ)ろな参入の実修を強いる装置として、尊厳さを感じさせる。
ここに祀られる市杵島姫命らはいわゆる宗像の神々であり、九州の宗像三神同様、海民によって尊崇された神々であった。そこで九州の三宮を思い出してみると、両者の違いがいちじるしい。
辺つ宮は陸上の宮とほとんど変わりなく、一方沖つ宮は絶海の孤島の趣をもつ。
文字どおり聖なる神域として自然の中に存在するにすぎない。
そのことを思うと、厳島の文化の匂いは、紛れようがない。古代に生きた信仰と美の饗宴に誘い込んだ厳島神社の装置の、文化力はむしろ激しい。
(5)大切にしつづけた文化を先人から手渡されたわれわれは、いま、これを世界的な評価に委ねる責任さえ負っているのではないか。
厳島という聖域、そこに保存される納経の芸術性を、「平家物語」が沈めなかった貴重な心の遺産として、世界に発信していくべきであろう。
(第17回ANA歴史シンポジウム「安芸文化の輝き」パンフレットより転載)